


地中海に沈む夕日が、砂浜をやわらかい金色に染めていた。彼はその光の中を、嬉しそうに駆けていた。あの深い夕暮れの色は、今も胸に残っている。
十六年間、いつもそばにいてくれた。穏やかで優しい犬だった。
彼は不思議な犬だった。ビーチを歩くときも、街角を散策するときも、まるで旅先で出くわす風景を確かめるように、一歩ごとに匂いと気配を拾い集めていた。一度通った道は、必ず彼の頭の中に記憶されていた。あの鋭いのか緩いのか判然としない眼差しは、犬というよりは旅の同行者のようでもあり、私たちにとっては頼もしい相棒だった。
彼には、もうひとつ“癖”があった。レストランやカフェテリアの前を通りかかると、決まって空いている椅子にちらりと視線を送るのだ。――ここに座ろうよ。そう無言で告げるようなその仕草に、私たちは何度笑ったことだろう。仕方なく腰を下ろし、コーヒーを頼むと、ジュンは足元で落ち着き、行き交う人々の流れを飽きることなく眺めていた。
そして、家に戻れば、ふかふかのクッションや座布団の上で身体を丸め、満足そうに目を細める。あのときの温もりと柔らかな息遣いは、今でも手を伸ばせば触れられそうなほど、はっきりと胸に残っている。
夏の始まりに、彼は静かに旅立った。あの海風が、そっと連れていったのだろう。
長い年月を共に過ごしてくれて、ありがとう。
どうか安らかに。
そして、もしもまたどこかで逢えるのなら――また海の匂いのする風の中で、ゆっくり散歩でもしよう。
ジュン、またな。
